質量分析法とは
質量分析法(Mass Spectrometry, MS)は、試料中の分子や原子をイオン化し、イオンの質量電荷比(m/z)を測定して、分子量・化学組成・構造情報を解析する高精度な分析手法です。得られた結果は「質量スペクトル」として出力され、ピーク位置(m/z)や強度(量の目安)から、目的成分の同定や定量が行えます。
現在の質量分析は、化学・医薬・臨床・環境・食品・材料・法科学など幅広い分野で利用され、特に微量成分の検出や混合物の解析に強いことから、研究開発だけでなく品質管理や規格試験にも欠かせない技術になっています。
質量分析法の原理(何をどう測っているのか)
質量分析法は大まかに「イオンにする→分ける→測る」という流れで動作します。重要なのは、質量そのものではなくm/z(質量÷電荷)を測っている点です。電荷が複数(多価イオン)になると同じ分子でもm/zが変わるため、スペクトル解釈ではこの性質を理解しておく必要があります。
- イオン化(Ionization)
試料分子を電荷をもつイオンに変換します。イオン化法の選択は、測りたい化合物(揮発性、極性、熱安定性、分子量)によって大きく変わり、分析の成否を左右します。 - 質量分離(Mass Analysis)
生成したイオンを質量分析計へ導入し、m/zの違いによって分離します。装置方式により分離の仕方(電場・磁場・飛行時間・トラップなど)が異なり、分解能や測定速度、質量精度も変化します。 - 検出(Detection)
分離されたイオンを検出器で記録し、m/zを横軸、信号強度を縦軸とする質量スペクトルとして出力します。
代表的なイオン化法と選び方
イオン化法は「壊して情報を得る(フラグメント重視)」か「壊さずに分子量を測る(ソフトイオン化)」かで得意領域が変わります。
- EI(電子イオン化)
気化しやすい低分子に向きます。分子が壊れてフラグメントが多く出るため、スペクトルのパターンから同定しやすいのが特徴です(GC-MSでよく使用)。 - CI(化学イオン化)
EIよりソフトで、分子イオンが得やすい方式です。分子量情報を取りたいときの選択肢になります。 - ESI(エレクトロスプレーイオン化)
溶液からイオン化するソフトイオン化で、極性化合物や生体分子に強い方式です。LCと相性がよく、LC-MS(LC-MS/MS)で定性・定量の中心的手法として使われます。多価イオンが出やすい点も特徴です。 - APCI(大気圧化学イオン化)
ESIよりも比較的低極性の成分に対応しやすく、LC-MSでESIと使い分けられます。 - MALDI(マトリックス支援レーザー脱離イオン化)
タンパク質やポリマーなど高分子の測定に強く、TOF型と組み合わせるケースが多い方式です。スポット測定やイメージングにも応用されます。
主な質量分析計(マスアナライザ)の種類と特徴
質量分析計は「何を重視するか(定量・スクリーニング・未知同定・高分解能)」で選択が変わります。
- 四重極(Quadrupole):目的成分の定量に強く、LC-MS/MSで定番。堅牢で運用しやすい。
- TOF(飛行時間型):広い質量範囲を高速に測定しやすい。未知スクリーニングや高分解能測定でも活躍。
- イオントラップ:イオンを捕捉してMS/MSなどを柔軟に実行できる。構造解析で役立つ。
- Orbitrap:高分解能・高質量精度で、複雑混合物の同定やオミクス解析に強い。
- FT-ICR:非常に高い分解能を狙える方式。高度な研究用途で使用されることが多い。
MS/MS(タンデム質量分析)とは?できること
MS/MSは、特定のm/zのイオン(前駆体イオン)を選択し、衝突などで意図的に分解して生じる生成イオン(フラグメント)を測定する方法です。これにより、単なる分子量測定にとどまらず、次のような解析が可能になります。
- 定性の信頼性向上:同じ分子量の別物(異性体・共溶出成分)を区別しやすい
- 高選択的な定量:LC-MS/MSのMRM/SRM測定で微量成分を高感度に定量
- 構造推定:フラグメントの出方から部分構造を推定
質量分析法の応用分野(何に使われている?)
- 化学・材料:有機化合物の同定、反応追跡、添加剤・不純物解析、ポリマー組成評価
- 医薬・創薬:候補化合物の評価、不純物・代謝物解析、薬物動態(DMPK)
- 生物・医学:プロテオミクス、メタボロミクス、バイオマーカー探索、臨床研究
- 環境:残留農薬、PFAS等の微量汚染物質、揮発性有機化合物(VOC)分析
- 食品:異物・混入物質の同定、香気成分分析、添加物・残留物質の検査
- 法科学:薬物・毒物・爆発物の同定、鑑定、トレーサビリティ
質量分析のデータの読み方(初心者が押さえるポイント)
- m/z:ピーク位置。分子イオンやフラグメントの候補になる。
- ベースピーク:最も強度が高いピーク。必ずしも分子イオンとは限らない。
- 同位体ピーク:^13Cなどの影響で主ピークの近くに出る。元素推定に役立つ。
- 多価イオン:ESIでよく出る。m/zが低く見えても分子量は大きい場合がある。
実務では、質量スペクトル単独で結論を出すのではなく、LCの保持時間、MS/MSパターン、標準品との一致などを組み合わせ、同定の確度を上げるのが一般的です。
利点と制約(導入前に知っておきたいこと)
- 利点
- 高感度で微量成分の検出が可能
- 分子量を精密に測定でき、同定・構造推定に強い
- GC、LCなど分離手法と組み合わせて混合試料に対応できる
- 定性から定量まで幅広く対応でき、応用範囲が広い
- 制約
- 装置費・保守費が高く、運用体制(ガス、真空、消耗品)が必要
- 前処理、イオン化条件、測定条件の最適化が不可欠
- マトリクス効果やイオン抑制で定量が難しくなる場合がある
- スペクトル解釈や定量法の設計には専門知識が求められる
分析品質を左右する重要ポイント(前処理・条件最適化)
質量分析で「測れない」「再現しない」原因は、装置性能よりも前段階にあることが少なくありません。現場で特に重要なポイントは以下です。
- 前処理:抽出、精製、濃縮、脱塩の設計で感度と再現性が大きく変わる
- マトリクス対策:共存成分によるイオン抑制を見込み、クリーンアップや分離条件を調整
- キャリブレーション:質量精度・定量精度の担保に必須。内部標準を用いる設計も重要
- コンタミ対策:溶媒、配管、バイアル、手袋由来の汚染がピークとして出ることがある
最新技術動向(精密化・高速化・自動化)
近年はLC-MS/MSの普及により、複雑な混合試料でも高選択的な定量が行いやすくなっています。さらに高分解能MSの進化によって、未知化合物のスクリーニングやノンターゲット解析が加速しています。加えて、測定条件の自動最適化、スペクトル解析の自動化、統計解析との統合により、解析フロー全体の効率化が進んでいます。
また、MSイメージング(MSI)のように、試料表面の成分分布を可視化する技術も発展しており、材料評価や生体組織解析などで活用が広がっています。
まとめ
質量分析法は、試料をイオン化してm/zを測定することで、分子量・組成・構造情報を高精度に得られる分析手法です。イオン化法(EI、ESI、MALDIなど)や質量分析計(四重極、TOF、Orbitrapなど)を目的に応じて選び、GCやLCと組み合わせることで、微量成分の定性・定量を強力に支援します。
一方で、前処理やマトリクス対策、条件最適化が結果を大きく左右するため、装置選定だけでなく運用設計が重要です。技術革新と自動化が進むことで、質量分析法は今後も研究・産業のさまざまな現場で、さらに活躍の幅を広げていくでしょう。

